食中毒


朝起きるなり、吐き気と下痢、発熱に襲われ、チビ太郎&次郎も同時に同じ症状を発症。
私はトイレ以外に起き上がることは不可能。。。
父ちゃんに会社を休んでもらって、チビ三郎の世話とチビ太郎&次郎の看病してもらいました。


夕方、24時間開院しているHope Childrenに子供たちを連れていき、
プロバイオテックと吐き気止めの薬、解熱剤を処方してもらう。
診察してもらっているそばから、チビ次郎は吐くし、チビ太郎もトイレに駆け込む。


こんな調子で丸4日間、寝込みました。
人生初の食中毒。ほんとにつらかった。子供たちも私もやせ細り、私は4kg減。
母乳もほとんどでなくなりました。
食中毒の原因はおそらくパラゴンのグランドフロアのレストランで食べたパスタに入っていたアサリ。
ちゃんと火が通ってなさそうだったから、店員に貝がまだ煮えてないと言ったら、一旦下げたんだけれど、
たぶん、ナイフかなにかで貝をこじあけてきた模様。
1つ2つ食べて、やめておいたけれど、やっぱり食べなきゃよかった。

もう二度といかない!!あのお店!


4日間の闘病の後、やっと子供たちも学校に行けると思ったら、今度はチビ三郎さんが発症。
うつらないように隔離してたけれど、だめだったのね。。。
あの辛さとこんなに小さな赤ちゃんが戦うのはあまりにも不安。
下痢便に血も混ざっていたので、アイランドホスピタルに連れていき、
入院をすすめられるも一旦は拒否して帰宅したけれど、症状が改善しないので、
その日の夕方、入院しました。
小児科は満床だったため、8階の増築した病室へ入院。


窓から見える景色はなかなかなんだけれど、これが病院じゃなかったらね。。。

点滴で何も飲めないチビ三郎は、第一日目の夜は眠れず泣いて、病み上がりの私もきつかった。


2日目は母乳はあげていいと言われたけれど、私は食中毒にやられて母乳がほとんど出ない。
チビ三郎怒って泣く。
点滴は抗生剤入りのものに変わりました。
夕方から乳糖の入っていない粉ミルクを与える。

ほんとにこの粉ミルクは溶けが悪い!!
シェーカーのように哺乳瓶を振らないと溶けない。
2日目の夜は出ないおっぱいを吸いながら、それでもチビ三郎は眠ることができました。


3日目の朝から熱は下がったものの、解熱剤を与え続けられました。
それも不安で、飲ませたふりして何回かはこっそり捨ててました。


その日の夕方ようやく退院。
ほんとに長かった食中毒との戦い。


入院中、上の2人を預かってもらったりして、お友達には本当にお世話になりました。


二度と食中毒はごめんです。